関西ヌーソロジー講座2025
「4次元は目の前に」~意識の位置を問い直す前11回の旅
第1回:Ω1(地球)の巻
テーマ:哲学はなぜ“わたし”を見失ったのか?
〜 デカルトの切断と「意識の迷子化」の起点 〜
「わたしとは、いったいどこにいるのか?」
・・・この問いが、いま改めて立ち上がる。
◆ 哲学のはじまりは、切断だった
ルネ・デカルト……
彼の登場は「理性の誕生」であり、「信仰の終焉」だった。
信仰が腐敗し、神の位置が崩れ落ちたとき、
その屍の上に、理性は産声をあげた。
だがその代償は大きかった。
精神と物質は切り離され、
人間の意識は「考える主体」として、脳内に幽閉されたのだ。
◆ 理性は信仰の代役になれるのか?
信仰は「わからないものを信じる力」だった。
理性は「すべてを説明しようとする衝動」だった。
この二つは、本質的に交わらない。
そして合理論と経験論は、それぞれの矛盾を引き受けながら、
「わたしの居場所」を見失っていった。
合理論は、信仰の穴を理性で埋めようとした。
経験論は、理性の限界を悟り、信仰へと還ろうとした。
この対立を調停したのが、イマヌエル・カントだった。
◆ カントの調停は、“見るわたし”の沈没航路だった
カントは理性を守り、信仰も守った。
しかしそれは、世界を「現象」と「物自体」に二分することでもあった。
このとき、“わたし”は見えない背後へと追いやられた。
「見えている像」の向こうに、「見ているわたし」はゆっくりと沈んでいった。
主観を取り戻そうとしたフッサールだったが、
最後には「間主観性」という名の構造に包み込まれていった。
そして現代、脳科学とAIは、
意識を「情報処理機能」として定義し直し、
“見るわたし”は、完全に姿を消した。
◆ 「わたしはここにいる」……この感覚を取り戻せるか?
いま、哲学は原点に立ち返らなければならない。
合理か、経験か……
その問いではなく、
「わたしはどこに立っているのか?」という問いへ。
この講座は、知識の羅列ではない。
「意識の空間的位置を取り戻す」ための、根源的な教育である。
ヌーソロジーが示す「空間的自己」……
それは、“見るわたし”を取り戻す最後の地平だ。
◆ 哲学が迷子にした“わたし”を、もう一度見つけ出すために。
世界が構造で埋め尽くされても、
そのすべてを見る存在が、必ずここにいる。
この存在感覚の回復こそが、
2025年を通して貫かれる「意識の旅」の通底テーマである。
“意識の位置”を問うシリーズ、いよいよ開幕。
今回も、奥深く、静かで、鋭い……
そんな一本に仕上がりました。
※今月も補足スライドつきの解説トーク(約30分)を収録。
2025年4月号 2025シリーズΩ1『哲学はなぜ“わたし”を見失ったのか?』【DVD版】
関西ヌーソロジー講座2025
「4次元は目の前に」~意識の位置を問い直す前11回の旅
第1回:Ω1(地球)の巻
テーマ:哲学はなぜ“わたし”を見失ったのか?
〜 デカルトの切断と「意識の迷子化」の起点 〜
「わたしとは、いったいどこにいるのか?」
・・・この問いが、いま改めて立ち上がる。
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GAKU・MATSUSE (月曜日, 02 6月 2025 16:34)
関西ヌーソロジー講座2025!4次元は目の前にある(Ωシリーズ)が始まった!目の前は霊界、死の空間である事を知りながら集まる者達は、勇者であると同時に、哀しみの戦士達だ!音を通して前で一つになろう!AdS空間→dS空間→CFT空間へと!そこは懐かしいセピア色をした、ノスタルジックな風景であった?https://www.youtube.com/watch?v=x7odZn2ljuQ