~ ベルクソン「純粋記憶」を実感せよ
昨年に「位置の交換」をアップデートして以来、「位置の交換」を完成させるにはベルクソン哲学を深く理解し、真の意味で体得するしかないと睨んでいた。
とくに「記憶が脳の中にはない」ということが明示できれば、意識の「脳からの脱出」を示すことができるだろうし、それはそのまま「肉体からの脱出」を・・・すなわち「生きたまま死後の世界に入る」ことへと繋がる。
思えば現代人はすっかり「脳依存」となった。養老孟司氏の言う「脳化社会」・・・現在人類が迎えている数々の危機は、「脳化社会」の限界を意味しているに過ぎない。
だから今こそ「脳依存からの脱出」。それによって、人類は滅びへの道=「脳化社会」と「唯物論的世界観」の呪縛から解放されるだろう。その気概を持って統心は今年、ベルクソン『物質と記憶』に飛び込んだ・・・。
結果は予想通り、いや遙かに予想以上だった。やはりベルクソンは重大な鍵を残しておいてくれた。その鍵とは「純粋記憶」である。今から100年以上前に孤高の天才が独り、「けもの道」を開拓してくれていたのだ。
それから100年以上が経つのに、けもの道は草ボウボウになって放置されていた。全く開拓されていなかったのだ。それは人類がもう一人の天才・・・アインシュタインを選択したからだ・・・というのは決して言い過ぎではない。
1922年4月・・・ちょうどアインシュタインが来日した年・・・、彼が日本に来る半年前にパリで開催されたシンポジウムで二人の天才は出会う。先に登壇したベルクソンに対して、アインシュタインはこう返答した・・・「哲学者の時間は存在しない」(『The Physicist & the Philosopher』参照)
この決裂から101年・・・統心は「けもの道」に分け入り、草を刈って再び道を開く。やはり・・・すぐに前方に光明が見えてきた。この道で間違いなかった。さぁ万国のヌーソロジスト達よ、この道に続け。人が通れば通るほどに、この道は出来上がっていく。
「脳は記憶を保存しない」のだ。脳にはあるのは「記録」に過ぎないのだ。脳が精神活動をしているのではない。精神活動が脳を起動しているのだ。
記憶の本体が脳にないことがはっきり分かれば、人間は全く別のモノへと変容する。それ以外の様々な言説は、それこそ「脳内妄想」に過ぎないのだ。
ベルクソン「純粋記憶」を実感せよ。統心が「純粋記憶」を分かり易く解説します。
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