こうせんさん、ありがとう

本稿は、半田広宣さんの訃報から一週間を迎えた2026年4月28日に、Facebookへ投稿した追悼文です。

突然の知らせから、葬儀、大阪ヌースレクチャー、ヌーソロジー・サロン追悼ライブまでの一週間を、私自身の記録として、また広宣さんへの感謝と継承の想いとして、ここに残しておきます。

★師匠・半田広宣さんの訃報から一週間

怒濤の一週間
あれから一週間が経ちました。

●3度目の知らせ

ぼくの人生にとって3度目です。

1度目は30年前の6月、母の知らせ。
2度目は12年前の1月、父の知らせ。

母の場合は、交通事故で意識不明の重体。それから21日後に、そのまま病院で逝きました。

父の場合は、お世話の人から連絡がつかない旨を受け取り、兄が直接、一人暮らしの父のマンションに行き、玄関先で座ったまま、逝ったことを聞きました。

そして、3度目です。
ちょうど一週間前…4月21日火曜日。

その日は、毎月開催している京都ヌースライブの日でした。午後6時半から始まったライブを午後9時前に終えて、そこからお楽しみの懇親会に向かうところでした。

お店の前で、背中のスマホからけたたましい着信音。

見ると、画面に「半田広宣」…。

すぐに、ただならぬ状況だと察知しました。

広宣さんの関係で何かが起きた?
この時間の連絡?
だとしたら、このあと深夜バスに飛び乗るのか。すぐに駆けつけないといけないのか。

そんなことを、1~2秒の間に連想しました。

そして電話に出ると、奥様の麻衣子さんの声。
微妙に震えている。

この段階で、覚悟を決める。
息を止め、下腹に力を入れました。

麻衣子さんの説明が始まる。
夫・広宣さんのことを話している。

ああ、そういうことか…。

この段階で90%。
でも、まだ10%ある。信じない。

「驚かれると思います…」

麻衣子さんは、そのように語り出す。

ここで確定。

頭が真っ白になりました。


●四条烏丸の階段で

そこから、ご自宅で息をされていなかったこと、21日のお昼前だったこと、直前までは話しかけもしていたこと、少しご飯も食べられたこと、でもお昼前、息をされていなかったこと、救急車を呼んだこと、病院で、あらゆることをしたこと、電気ショック、注射、そして午後1時過ぎ、お医者様から…。

四条烏丸の往来の激しい場所。
地下にある飲食店フロアに降りる階段のところに座り込んで、麻衣子さんの電話に耳を傾けました。

だけど、まったく、何も頭に入ってこない。

そして、いちばんお辛い、大変な状況の麻衣子さんに、かける言葉が見つからない。
出てこない。

こういうときの決まり文句…「ご愁傷様です」「お悔やみ申し上げます」が使えると便利なのに…。

けれども、これらの言葉は、ヌーソロジー界隈では、どうもしっくりこない。ニュアンスが少し違う。

だって、死と生がまったくひっくり返るのが、ヌーソロジーだから。

震える声で、麻衣子さんは気丈にもこう言われたのを覚えている。

「サロンは続けて行きます。私は、ヌーソロジーは世界を救うと思っていますから。」

激しく同意しました。

そして、残された麻衣子さんが、この状況で明確に意思表示をしてくださったことが、本当に頼もしく、ありがたかった。

「ぼくたちみんなファミリーです。なんでもできることはしますので、安心してください。ひとりじゃないですよ…」

確か、そのようなことを言いたかったと記憶している。
だけど、言えたかどうかもわからない。

でも、とにかく言った。
言いたかった。
本心から。

遺族を2回経験して、遺族の大変さは承知しています。少なくとも葬儀が終わるまで、いや、その後もしばらく、悲しむ時間も与えてもらえない。次から次へと、やることが洪水のように押し寄せてくる。

だからこそ、何よりも遺族を励ますのが先だと思っていました。

お通夜や葬儀の件を聞き、電話を切る。

そして懇親会へ。

メンバーにはもちろん、ひと言も話さない。
話せない。

作り微笑をしながら、その時間を無難に過ごしました。


●強制シャットダウン

そして大阪へ戻る。

梅田行き最終より1本前の特急列車。
でも、移動感覚がない。

ヌーソロジー歴17年、すでに「不動感覚」は身につけている…だけど、このときはそれではない。

何も考えられない。
何も感じられない。

感情が強制シャットダウンされたようでした。
あまりに衝撃が大きくて。

自宅オフィスに戻る道中も、何も覚えていません。

得意の内省、思索、自問自答。
しようにも、すべてシャットダウン。

そんな中で、電車の中、かろうじて何か言葉がほしくて、スマホを取り出し、ワンオラクルのサイトをみつけて引いてみました。

引いたカードは、「ペンタクルの10」

タロットの知識もないし、字も読むことができない状態だったので、そのままスマホを閉じて帰宅しました。


●継承という言葉

帰宅しても、しばらく何もできませんでした。

何かが大きく失われた感じ。喪失感…。ほんとに、ぽっかり穴が空いてしまった感じ。

この時、自分が広宣さんに大きく依存していたのだ…ということが、身に染みて分かりました。もちろん、それは悪い意味の依存ではなかったと思いますが。

少し落ち着いてから、そういえば、あのカードの意味は…となった。
なぜこのタイミングで、「ペンタクルの10」なのか。

そこで、パソコンを開き、Geminiにその意味を尋ねました。

すると、そこに出てきた言葉は、「継承」でした。

財産。家系。共同体。受け継がれるもの。
個人を超えて、次の世代へと手渡されていくもの。

そのような意味を持つカードだと知りました。

そこで、ぼくはまた言葉を失いました。

ああ、そういうことなのか。

広宣さんは、突然いなくなったのではない。
むしろ、これから本当に、ぼくたち一人ひとりの中で、受け継がれていく段階に入ったのだ。

そのことを、あのカードは告げていた…

喪失感、衝撃から、いきなりある種の確信に至る。

継承。

いよいよ、継承の道が始まった…いきなり、そんな覚悟が立ち上がりました。


●葬儀、そして大阪レクチャーへ

一日おいて、23日の朝から福岡へ向かいました。

悲しみの雨の中、葬儀へ参席させていただきました。
ご遺族と共にお山まで行き、お骨を壺に入れるところまで、ご一緒させていただきました。

その場にいられたことは、ぼくにとって、言葉にできないほど大きなことでした。

そして24日、株式会社ヌースコーポレーションから正式発表がありました(享年69歳)。夜にはヌーソロジー・サロンでも発表がありました。

私もその夜、関西ヌーソロジー研究会のメルマガ号外として、広宣さんの訃報をお伝えしました。

そして25日。

大阪ヌースレクチャーを、広宣さんへの追悼の想いを込めて開催しました。

急なことでありながら、たくさんの方々が、広宣さんとヌーソロジーを偲び、その想いを分かち合うために、駆けつけてくださいました。

本当にありがたかった。

あの日の会場には、悲しみだけではない、何か静かな力が満ちていました。

広宣さんがいない。
でも、広宣さんはいる。

その矛盾した感覚が、あの場には確かにありました。

いや、むしろ今回のことで、生と死の境界が、ぐっと薄くなるような感覚がありました。

「死の哲学」を提唱し続けてくれた広宣さん本人が、

「では、ちょっと行ってくるね。あとはよろしく!」

そう言って、ひと足先に向こう側へ行かれたような。

そんな、悲しみだけではない、不思議な明るさも、あの場にはあったように思います。


●サロン追悼ライブ

翌26日には、ヌーソロジー・サロン内で、午後2時から6時半まで、追悼番組ライブが配信されました。

200名以上の方が参加された、本当にすばらしい会でした。

広宣さんを偲び、語り、涙し、笑い、そしてそれぞれが、それぞれの場所で、広宣さんとの関係をもう一度受け取り直していたように思います。

それは単なる追悼ではありませんでした。

広宣さんが遺されたものを、これからどう受け継いでいくのか。

参加者のみんなが心をひとつにして、これからもヌーソロジーを続けていく。

そう、「学びを続けていこう」という静かな決意が、場そのものの中から立ち上がっていくような時間でした。


●学びを続けていこう

あれから一週間。

怒濤のような時間を過ごし、昨日になってようやく、睡眠負債も返済しつつ、いつものリズムを取り戻し始めました。

でも、もちろん、すべてが元に戻ったわけではありません。

戻るはずもありません。

広宣さんは、もう以前のように、この3次元空間にはいない。

毎日の、あのうんざりするような怒濤のX(ツイッター)連投もない…(苦笑)

あのnote投稿ラッシュもない。

とくにここ最近、それまでは年に1~2回あるかないかだったヌーソロジー・アップデートが、ほぼ毎週のように!…フォロワーを青ざめさせた怒濤の投稿群…。

いまとなっては、それらすべてが「必然」だったということが、よく分かります。

残る時間、1分でも1秒でもあれば、自分の掴んだ世界を残していこう。

そうやって、最後まで駆け抜けていかれたのだと思います。

これからは、各自が広宣さんと直になるのだと思います。

非局所の領域に移られた広宣さんは、これからは、あらゆる場所に、同時に、それぞれの奥行きの中に現れることができるでしょう。

広宣さんが残してくださったヌーソロジー。

ぼくはやはり、それを単なる知識や理論としてではなく、現場における「生き方」として受け継いでいきたい。

生前、広宣さんは、ことあるごとに、

「ヌーソロジーは役には立たないよ」

と謙遜してこられました。

そのたびに、ぼくは、

「いいえ、役に立ちます!」

と言い返してきました。

いまからは、それを実践として示していく番なのだと思います。

生き方としてのヌーソロジー。

あるいは、「死に方」としてのヌーソロジー。

ヌーソロジーとは「生きたまま死後の世界に入る」ためのものなのだから、それは生き方であり、死に方であり、同時に、死と生の観念そのものを反転させる霊的な教えなのだと思います。

ぼくは、残された者の一人として、半田広宣さんが遺されたこの霊的教えを、これからも継承していきます。

安心してください、広宣さん。

ぼくたちは、止まりません。

そして、皆さんにもお願いしたいと思います。

どうか、学びを続けてください。

広宣さんが遺されたものは、過去のものではありません。
むしろ、これから本当に始まっていくものです。

そう…終わりは始まり…始まりは終わり…


奥行きへ。
外面へ。
死を超えて、死の観念そのものが変質していく場所へ。

そこへ向かう道を、これからも共に歩んでいきましょう。

最後に、広宣さんが2017年7月15日に投稿された言葉を、そのまま引用しておきます。
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『ということで、ヌースの反-常識を少し。奥行き意識が先行し始めると、人間は死なない。いや、死ぬのだが、死という観念が変質するので死なない。人間に死が見えないのは死が無意識そのものだからだ。奥行き先行の意識は、その無意識を見せてくる。だから、人間は死ぬのだが、死はもはや死でなくなる。 (2017/7/15)』