2024 川瀬統心オンライン講演会 第3弾
日時:8/11(日) 14:00~18:00
方法:ズーム・ウェビナー
費用:3300円
※オンデマンドで後日視聴もできます。
※当日参加された方も、後から何度でもオンデマンド視聴ができます(約1ヶ月)。
関西ヌーソロジー研究会主宰
武蔵野学院大学ヌーソロジー研究所 特任研究員
ヌーソロジー研究家であり内在探求者
自分教ガイド・川瀬統心によるオンライン講演
2024年 ψ12「性質」の顕在化シリーズ 第3弾
テーマ:「日本的霊性」の自覚と復興
~ 即非の論理、絶対他力、そして2つの「鏡の法則」とは ~
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●日本人は、鎌倉時代になって初めて「霊性」に目覚めた
西田幾多郎の盟友であり、世界的に有名な仏教学者・鈴木大拙の著作に『日本的霊性』がある。大拙氏はその著において
「鎌倉時代になって、日本人は本当に宗教、即ち霊性の生活に目覚めたと言える。平安時代の初めに伝教大師や弘法大師によりて据え付けられたものが、大地に落ち着いて、それから芽を出したと言える。」
「日本人は、それまでは霊性というものを自覚しなかった。鎌倉時代は、実に宗教思想的に見て、日本の精神史に前後比類なき光景を現出した。平安朝の四百年も、決して無駄ではなかった。いずれも鎌倉時代のための準備であった。」
大拙氏によると平安時代は貴族の文化であり、彼らは大地に根ざさず、外国の脅威にもさらされず、優雅で上品な平安文化を生みだしはしたが、享楽的・現世的な雰囲気では霊性・宗教が育つ余地はなかったと…。
また平安時代以前の『万葉集』にみる日本的情緒に関しても「子供らしい自然愛の境地を出ていない」などと批判している。
●霊性の日本的なるものとは何か
そして大拙氏は、鎌倉時代になってようやく目覚めた霊性についてこういう。
「それなら霊性の日本的なるものとは何か。自分の考えでは、浄土思想と禅とが、最も純粋でそれであると言いたいのである。」
ここで大拙氏が言う「浄土思想」とは、親鸞聖人によって確立した「純粋他力と大悲力」であり、これは「霊性」の「情性方向」への深化・発現であるという。
対して「禅」は「霊性」の「知性方向」への深化・発現であり、さらに般若の「即非の論理」がその本質であるという。
確かに大拙氏の論は仏教思想の立場に偏っており、「神道」に対する理解のなさ・不勉強が指摘されている。ただしそれは当時日本の軍国主義とそれに組みした国家神道による暴走が日本崩壊をもたらしたことに対する怒りと批判に根ざしていることは同時に理解されねばならない。
だがそいうことは差し置いて、大拙氏がここで改めて「日本的霊性」を発掘しようとしたことの意義は大きい。
●西田幾多郎と共に目指したもの
盟友の西田幾多郎も大拙氏に宛てた葉書にこう記している(昭和二十年二月六日付)
「日本的霊性読了。大変面白い。日本的霊性は真に鎌倉時代に至って覚醒したと思います。」
西田も大拙も戦争末期の切迫した状況の中で、諸悪の根源に「西洋論理」による精神的混乱があることを見抜き、二人して親密に意見を交わしながら、西洋論理に対抗する「東洋論理」と「日本的霊性の復活」を目論んで努力を重ねていった。
西田のそれは「絶対矛盾的自己同一」と「場所の論理」であり、大拙氏のそれは「即非の論理」と「日本的霊性論」として表現された。
だが21世紀の現在になって欧州ではロシア・ウクライナ戦争が始まり、中東ではイスラエル・イランの対立がいつ中東戦争になり、それが第3次世界大戦を引き起こしかねない状況を迎えている。
西田・大拙が経験した時代的混乱は解決したどころか、いま再び生じてさらに大きく世界を巻きこもうとしているのである。
●眠りを起こしに来る異質性の襲来
バブル崩壊後の失われた30年…世界各国の経済が軒並み成長を続ける中、日本だけは成長が低迷してきたが、振り返ると実はそれなりに豊かで安寧な時代でもあった。ある意味これは平安時代の内向きな享楽時代に似ていたかも知れない。
それが鎌倉時代になり「霊性」発現の世になったのは、貴族社会から武家社会への移行による変化はもちろん、何よりも「蒙古来襲」という外敵の出現によるところが大きい。
大拙氏いわく「平安時代このかた東方アジアの孤島で桃源の夢を貪っていた我らの祖先が、急に敵性をもった外力が加わってくるのを見て、自分というものを見直さねばならなくなった…蒙古来襲は日本人の内省的生命の発展に非常な影響を与えたものである」
さらに大拙氏当時の時代的状況を鎌倉時代に重ねてこう言う
「近代日本の歴史的環境がまたよく鎌倉時代のに似ていて、さらに切迫したものがある。国際的政治は言うに及ばず、思想および信仰および技術などの諸方面に渉りて、異質性の諸勢力が激しく襲来する。」
●いままさに「異質性の襲来」の時代
「異質性の諸勢力の襲来」…この言葉は、現代日本に生きる我々に対していままさに向けられているのではないか。
しかしかしながら、大拙氏はこう続ける
「異質性は敵性を意味してはいない。単に主我自尊的および排外的態度でこれに対抗してはならぬ。それは自滅をたどる心構えである」と。
武力や機械力・物力などで対抗したとしても枝末的なものであると。政治や経済の問題ではないということだ。
そうではなく「霊性発揚と信仰と思想」が必要であるというのだ。
私はこれに激しく賛同である。とくに「霊性発揚」というのが、いままさにヌーソロジーを通して我々が活動している主旨をそのまま言い表していると思う。
●「日本的霊性」の自覚と復興をいま再び
大拙氏が伝えたいことは「霊性の自覚」である。それも「日本的」霊性。
日本的霊性自体は、鎌倉よりも平安よりも奈良よりも、ずっと前から潜在してあったもののはずだ。その「自覚」に至ったのが鎌倉時代からだということを理解せねばならない。
霊性が潜在している状態と自覚される状態とは雲泥の差である。
それはヌーソロジーにおける潜在化と顕在化の議論にも通じている。
鎌倉時代から「日本的霊性の自覚」が始まったという大拙氏の議論は、いまに生きる私たちに直接当てはまるのではないか。
その「自覚」がいままた混乱しているが故に、日本と私たちを取り巻く内外情勢も混迷を極めているし、今後ますます多くの問題を生じていくのである。
きっとヌーソロジーに触れたものならば、大拙氏の言わんとすること、さらにその深く奥義にいたるまで感じ取れるに違いない。
そしてヌーソロジーが「前」へ意識の位置を移動させようとしていること、奥行きへ、そしてモノ自体へと意識を侵入させていこうとすることがそのまま「日本的霊性の自覚」に通じているのだということを大拙氏の議論に即して示して行きたいと思う。
●そして「2つの鏡の法則」が登場
そして最後に、今講演最大の見せ場として「2つの鏡の法則」が登場する。
ひとつは「従来の鏡の法則」、もうひとつは「シン・鏡の法則」。
いわゆる「鏡の法則」とは「投影」の法則のことである。
これは誰しもマスターしなければならない、実に奥深く、実用性のある法則である。
しかしながら…これは「霊性の自覚」と直接関係をもたない。
もうひとつの「シン・鏡の法則」…これがそのまま「霊性の自覚」に直結する。
従来の「鏡の法則」は「鏡」を前において、映し出された内容物を自身の「投影」として見ることであるが
「シン・鏡の法則」は「自分自身が鏡」であるという自覚である。
これはまったく違う内容である。そもそも空間認識がまったく反転している。そしてもたらされる意識内容もまったく別のものだ。
「シン・鏡の法則」において、これがそのまま「日本的霊性の自覚」に達するということを示して行きたいと思う。
6月度大阪教室でその一端を披露したが、それを講演会用にブラッシュアップしてお届けしたい。
いかにも統心らしい、統心節炸裂のラストになるだろう。乞うご期待。
毎月の関西ヌーソロジー研究会で発表してきた叡智を数ヶ月に一度、全国全世界の皆様と分かち合う統心オンライン講演会。
ヌーソロジー・ビギナーの方でも気軽に楽しめ、かつベテラン勢もうならせる統心節の講演は、毎回好評を博しています。
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