◆今月の定例ヌーソロジー教室/大阪・京都
テーマ:「知覚空間」を開く
~光と色をめぐるニュートンとゲーテの対立とは?
文豪ゲーテ・・・ナポレオンも愛読したという『若きウェルテルの悩み』はシュトルム・ウント・ドランクの代表的作品とも言われる。
シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)・・・文芸オンチの統心でも世界史で出てきたこのゴロの良さはいまでも覚えている。
※統心は基本理系。大学も理系入試の農学部ですが、学科が農林経済ということで、そこから理系・文系折衷の人生(曰く、中途半端の刑)を余儀なくされますた・・・。
シュトルム・ウント・ドランクが「理性中心の啓蒙主義に対する異議」であり、「理性に対する感情の優越を主張したもの」だなんて、さっき調べて初めて知りました(爆)
そんな文芸オンチがゲーテを語るなんておこがましい・・・というかできませぬ(汗)。
でも・・・何故かやってくるのです。「前」から。ゲーテを調べよ、と。
調べてみてびっくり。やっぱりありましたよ。2022年「位置の融和」の方向性・・・ずばり「知覚空間を開く」そのタネが。
ゲーテはニュートンより100年後の人ですが、ニュートンの偉大なる功績『光学』に対してモノ申したのです。
というか「光と色」に関して、ニュートンに真っ向から反対したのです。
「色彩のことを論ずるならニュートンのことからやれというのは知っているが・・・実を結んだためしがない。」
「色なら色の本質が中にあると考える考え方が本質論である・・・」
「色の本質が中にある」
これまさしく「奥行きの知覚」・・・そう、ゲーテは「モノの中に入る」ことを言いたかったのだと今なら確信します。
だからニュートンがプリズム分光実験によって「光と色」を分析的に解明したことに対して猛烈な違和感を覚えたのです。
私はかつて、船井幸雄氏の「この宇宙はすべて波動で出来ている」という言葉に違和感を覚えました。
もちろん江本勝さんの切り開いた「波動学」には大変敬意を抱いていますし、私自身「すべては波動」の言明に対して概ね賛同しているのです。
波動ベースの機器がいろいろ登場し、希望の代替医療として、精神世界ファンの間で愛されていることもよくよく知っています。
でもなぜか違和感を拭えなかった。今も。周りのスピリチュアル人脈はみんな波動大好き。
私だけハミゴの様な感覚。反対してるんじゃない・・・でも違和感があるんだ・・・。
そんな時・・・なんだ、ゲーテも同じ事が言いたかったんじゃないか!
ゲーテは晩年、「光と色」の研究に取り憑かれます。
そして実に20年の歳月をかけて『色彩論』を発表します。
しかしその評判は芳しくなく、知人達からアレ(色彩研究)さえなければゲーテは偉大なる文豪としてさらなる名声を得ていたのでは・・・と皮肉られる始末。
誰も理解できなかったのでしょう。すでにニュートンの世でしたから。
でもゲーテの色彩論によって「色環」という円環構造が発見されたのです。
これはニュートンのプリズムからは見出せません。「赤と紫」はプリズムでは端と端だから。
ゲーテの「色環」で「赤と紫」は繋がり、色の円環構造が見出されました。これは染色業や現代の印刷業に至るまで、色を再現する現場において今も役立っているものです。
ニュートンは直線構造、ゲーテは反復・円環構造を・・・光についてそれぞれ発見したのです。
これはロゴス的知性とレンマ的知性そのものです。
ロゴスは線形、レンマは反復・円環・フラクタル(相似象)。
そして幅と奥行きであり、思形空間と感性空間(知覚空間)のことでもあります。
文芸オンチですからゲーテ文学を統心に語ることはできませんが
「光と色をめぐるニュートンとゲーテの対立」を通して
昨年のψ9思形から2022年「ψ10感性の顕在化」の方向性を
私たちが日々生きる現場において見出す、そのヒントを皆さんと共有できると思います。
というか「日々生きる現場」こそが「知覚空間」なのですから。