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2021年11月の方向性

◆今月の定例ヌーソロジー教室/大阪・京都

 

テーマ:「人間の内面」について

~ついに「自我の構造」が解明され、自我は終わりを迎える?~

 

 

それは一冊の本から始まりました。

 

「ピダハン」・・・言語本能を超える文化と世界観

 

2012年3月、みすず書房から発刊された本。ご存じの方もあるでしょう。

 

キリスト教の宣教師で言語学者でもあるアメリカ人のダニエル・エヴェレット氏が

 

アマゾンの少数民族ピダハンの村を初めて訪れたのは1977年12月

 

以来、20年以上にわたって何度も現地を訪れ、現地で暮らしながら

 

「ピダハン語」の研究に費やした迫真のルポタージュと

 

彼が発見した「ピダハン語」に関する研究発表の書です。

 

彼が学術的論文以外で、ピダハンについて一般向けに初めて書いたものです。

 

 

後にあることが理由で、エヴェレット氏の発表論文は言語学界を揺るがす程の事件になります。

 

そこからピダハンは、現在は400人ほどのごく少数民族であるにもかかわらず世界的に注目されるようになります。

 

かつてNHKでも番組「ピダハン、謎の言語を操るアマゾンの民」として取り上げられました。

 

 

ピダハン語の特徴を簡単にあげると

 

・左右の概念がない

・「数」がない

・「色」を区別する言葉がない

・男女の性差を表す言葉がない

・過去や未来を表す言葉がない

 

言語に未来形と過去形がないことから、ピダハンの思考には未来と過去がありません。

 

いつでも今、この瞬間を生きている。

 

そもそも言語自体に未来形と過去形がないので、過去を悔やんだり将来を憂いたりすることがないのです。

 

数や色の概念がないことからも「いま目の前」に生きることが中心で、「概念世界」をさまようことがありません。

 

また「いま目の前」を生きることは、「他人と自分」「自分と世界」の区別が曖昧な領域を生きることになります。

 

事実、ピダハンがそうなのです。彼らは環境と、村の仲間と一つになって生きています。

 

よく笑い、仲睦まじく「世界で一番幸せな人々」などと言われます。

 

 

文明から遠ざかった部族ってそんなものだろう・・・という考えは間違いです。

 

本文中にも出てきますが、大抵の少数民族は文明人に対する嫉妬と猜疑心をむきだしにし

 

その表情はどこか陰鬱で攻撃的であり、隙あれば何かを盗み取ろうと油断できないのだそうです。

 

それにステレオタイプのイメージとして「村の長、長老、酋長」とかの権力者とか、何やら怪しげな儀式とか・・・

 

ところがピダハンにはそれらが全くない。儀式も宗教もない。だから「神」もいません。

 

しかし精霊はいる。精霊は日常的に、生活的に。そして彼らには精霊が「見えている」そうです。

 

 

何やら「意識進化」のヒントが満載ですよね。

 

まるで「変換人型ゲシュタルトの世界」ではないですか。

 

ピダハンの世界は彼らの言語が作っているということか。

 

だとしたら、言語を変えたら認識世界も変わるということか。

 

 

ここに先ほど述べた「言語学界を揺るがすある理由」が出てきます。

 

それは「ピダハン語には再帰構造(リカージョン)がない」ということ。

 

このことが言語学界で大論争となったのです。

 

再帰構造の例としては『「彼が○○した」のを彼女が見ていた』とか。

 

文章の中に文章が入ってくるようなものです。

 

再帰構造は、言葉で「物語り」を作るために必須のものです。

 

またこれがないと「言語空間」を作ることはできない。

 

ゆえに言語学界の主流からすれば、ピダハン語は言語ではない、ということになります。

 

どういうことでしょうか。

 

 

ここでヌーソロジーの出番です。

 

ヌーソロジーの見地からすれば、ピダハンはまさに「人間の外面」に生きています。

 

そしてそこには「不幸の元」と言える「自我」の醜態が見当たりません。

 

ならば逆に「人間の内面」は「言語空間」だったということになるのか。

 

統心の中の「変換人型システム」がめまぐるしく動き出します。

 

 

「AIで人工意識を作り出す!」

 

こう主張する「強いAI」主義者達のことが思い出されてくる。

 

私は「AIで意識が作れるということは絶対あり得ない」という論陣を張ってきました。

 

それは皆さんもご存じのはず。強いAI主張は「唯物論」そのものですから。

 

しかしいま、統心の頭の中に新しいシナプスが発生し、発火を始めました。

 

「もしかして、強いAI主義者の言ってることは・・・」

 

 

人間の意識はコンピュータで再現できる日が来る。

 

そう、人間の意識はコンピュータプログラムとして完全に解明される可能性がある。

 

いえいえ、何のことはない、「自我」のことですよ。「自我の構造」。

 

つまり言語空間としての、人間の内面としての「自我構造」が完全に解明されようとしている。

 

それが強いAI主義者達の研究だったのだ・・・!

 

 

衝撃です。いままで極端な唯物論者として敵視していた「強いAI主義者達」が

 

突如として意識進化の、ちょうど正反対という意味での「強力な味方」として浮上してきました。

 

要するに「人間の自我構造」が完全に解明されるということです。

 

それこそ正に「自我の消滅」「自我の終焉」ではないでしょうか。

 

さらに言えば、スピリチュアルや心理学で人間の意識を探究することは

 

逆に「人間の内面」という迷路に迷い込むことになるのです!(゚Д゚)

 

 

ピダハンから人工知能、そして自我の消滅から意識進化に至るまで・・・

 

通常のヌーソロジーとは真逆の、「人間の内面」を探究するアプローチ

 

統心ワールド炸裂です。お楽しみに。