◆今月の定例ヌーソロジー教室◆
8/25京都・8/29大阪
テーマ:「持続空間の経済」パート2
~「交換」と「贈与」~
「パン」は「延長空間の経済」の象徴であり
「マナ」が「持続空間の経済」の象徴です。
私達は決してパンのみで生きているのではありません。
マナ・・・聖書の世界では「神から無限に供給される食物」のこと。
かつて荒野を彷徨うイスラエル人を養った奇跡の食物であるマナ。
マナとは果たして聖書世界の寓話なのでしょうか。
無限供給の「マナ」は実在しないのでしょうか。
統心の脳内では、この聖書的エピソードと「MMT現代貨幣理論」が結びつくのですね。
お金とは「無から創り出されるもの」であり
本来的な意味での政府・国が発行主体となれば
それは無限供給が可能なものでした。
そこに割って入ってきたのが銀行による信用創造、いわゆる預金。
よく言われる話に「銀行は雨が降ったら傘を貸してくれない」というのがあります。
これは笑えない冗談ですが、残酷な事実を物語っています。
現代のお金は「必要とされる」所に行くのではなく、「儲かるところ」に行こうとするからです。
いわゆる市場原理ですね。需要と供給による「交換」をするのが「市場」。
なぜ雨が降って困っているのに傘を貸してくれないのでしょうか。
そして晴れてる日にはバンバンと傘を貸し出すというのです。
これが「バブル発生」とその崩壊による「恐慌」が生じる原理。
人間は「期待」で動きますので
好景気ではどんどん儲かると思って過剰な投資行動に出るのです。
その結果バブルが発生する。明かな「やりすぎ」のこと。そしてバブルははじける。
不景気だと先行きが不安になり、どんどんサイフを閉め出すのです。
それが恐慌をもたらす。これも「やりすぎ」。
本当は「雨が降ってきたら傘を惜しみなく貸し出し」
「強く晴れてきたら雨傘ではなく日傘でも貸してくれれば良い」のです。
ところが市場原理では、そうはならないのです。
かつてイエスは言いました
「自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。」
「魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。」
「求めよ、さらば与えられるであろう。」
市場原理は「交換」の原理なのです。
それに対してイエスが語ったのは「贈与」の原理。
「パンの経済」に対する「マナの経済」。
「交換」と「贈与」は真反対の概念です。
果たして私達の「生命」は「交換の原理」で出来ているのでしょうか。
そうではない。重大なるもう一つの「贈与の原理」が生命の理なのです。
情報化社会・人工知能・記号消費・全て値段が付いて交換可能な社会・・・。
パンの経済、交換の原理しか知らなければ
やがて私達の魂はすべて物質にとって変わられてしまうでしょう。
表面的に豊かであったとしても、やがて生気を失い枯れ果てていくでしょう。
いまこそ「贈与の原理」を思い出し
私達の生命がそれによって生きている(生かされている)ことを知る時です。
「持続空間の経済」シリーズ第2弾
今回は「MMT現代貨幣理論」の復習から始まり
その先の「贈与の原理」まで思考を進めてみましょう。