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2018年5月の方向性

今月のテーマは『カガミ開きをしましょう~「全てわたし」の方向性とは』

 

4/29の出版記念講演会では

 

「カガミ開き」の話をしました。

 

これは自分教の言葉ですが

 

※神(カミ)+我(ガ)=鏡(カガミ)

 

スピリチュアルの文脈では

 

鏡を見て、我をとり、神になりましょうと、よく言われます。

 

その為に、神社のご神体として、鏡があると。

 

そこに映し出された自分をよく省みて、我を取るように修身しましょうと。

 

 

しかし統心流、自分教においては、これは全く逆の話になります。

 

鏡が分裂してしまい、神と我に分かれたのだ、と。

 

だから、神と我をもう一度ひとつにして、鏡に戻ろう、となります。

 

これが、「カガミ開き」の意味です。

 

カガミを開くというのは、閉じてしまった「真の鏡」を復活させよう、という意味です。

 

神社のご神体として飾られている鏡は「偽の鏡」だという話です。

 

自分の外側にあって、自分を見つめているような鏡は、「真の鏡」ではありません。

 

神と我に分かれた結果の、つまり人間型ゲシュタルトの鏡です。

 

それは時に、超自我とか良心とも呼ばれて、時空を超えて私を見ています。

 

この鏡は執拗に私を監視し、いつも私に反省と服従を迫ります。

 

要するに、一神教精神のことです。

 

 

この「偽りの鏡」の世界では、主客が分裂しています。

 

「神と自我と物質意識」の三位一体状況、ということですね。

 

 

「真の鏡」の世界では、主客が一致しています。

 

ここにおいては、「神我一致」「神人合一」となっています。

 

またこの領域は、「全てわたし」の世界です。

 

 

「全てわたし」………

 

これもまた、スピリチュアルの文脈ではよく語られることです。

 

「鏡認識」に達するということは、「全てわたし」が当然となることでもあります。

 

ですが、果たして本当の意味で理解されているかどうか。

 

単なるお題目やスローガンになってはいないか。

 

「全てわたし」とは一体どういう状況を言うのか。

 

このことを理解する上で

 

ヌーソロジーほど適切な言葉や概念を用意できる体系はないでしょう。

 

 

4/29記念講演会で少しご披露したこの内容を

 

今月のヌーソロジー教室では、さらに掘り下げて行きたいと思います。

 

 

とうしん勉強会は、いつでも初めての方オッケーです。

 

できるだけ、初心者・一般の方に向けた解説を心がけています。