今月のテーマは『カガミ開きをしましょう~「全てわたし」の方向性とは』
4/29の出版記念講演会では
「カガミ開き」の話をしました。
これは自分教の言葉ですが
※神(カミ)+我(ガ)=鏡(カガミ)
スピリチュアルの文脈では
鏡を見て、我をとり、神になりましょうと、よく言われます。
その為に、神社のご神体として、鏡があると。
そこに映し出された自分をよく省みて、我を取るように修身しましょうと。
しかし統心流、自分教においては、これは全く逆の話になります。
鏡が分裂してしまい、神と我に分かれたのだ、と。
だから、神と我をもう一度ひとつにして、鏡に戻ろう、となります。
これが、「カガミ開き」の意味です。
カガミを開くというのは、閉じてしまった「真の鏡」を復活させよう、という意味です。
神社のご神体として飾られている鏡は「偽の鏡」だという話です。
自分の外側にあって、自分を見つめているような鏡は、「真の鏡」ではありません。
神と我に分かれた結果の、つまり人間型ゲシュタルトの鏡です。
それは時に、超自我とか良心とも呼ばれて、時空を超えて私を見ています。
この鏡は執拗に私を監視し、いつも私に反省と服従を迫ります。
要するに、一神教精神のことです。
この「偽りの鏡」の世界では、主客が分裂しています。
「神と自我と物質意識」の三位一体状況、ということですね。
「真の鏡」の世界では、主客が一致しています。
ここにおいては、「神我一致」「神人合一」となっています。
またこの領域は、「全てわたし」の世界です。
「全てわたし」………
これもまた、スピリチュアルの文脈ではよく語られることです。
「鏡認識」に達するということは、「全てわたし」が当然となることでもあります。
ですが、果たして本当の意味で理解されているかどうか。
単なるお題目やスローガンになってはいないか。
「全てわたし」とは一体どういう状況を言うのか。
このことを理解する上で
ヌーソロジーほど適切な言葉や概念を用意できる体系はないでしょう。
4/29記念講演会で少しご披露したこの内容を
今月のヌーソロジー教室では、さらに掘り下げて行きたいと思います。
とうしん勉強会は、いつでも初めての方オッケーです。
できるだけ、初心者・一般の方に向けた解説を心がけています。