今月のテーマは「鏡の法則Ⅱ 他人はいない」。
先月は「鏡の法則」の前編として「100%自分原因論」について掘り下げていきました。
後編の今月は「鏡の法則」におけるもう一つの重要な柱である「他人はいない」論について探求していきたいと思います。
「目の前の現実は全て自分が原因となって創り出している」
ということが鏡の法則の本質かと思いますが、
この種のメソッドを実践しようとする時、
どうしても「他人の存在」が問題となってきます。
例えば、世の中にはひどい事件や犯罪もあるけれど、
それも自分の責任なのか?とか
身近な例でも、自分自身の投影としては到底考えられないようなケースに出くわすことがしょっちゅうあるのではないでしょうか。
「100%自己責任」を実践しようとすると、必ず他者の存在が問題となります。
そもそも鏡の法則などスピリチュアルメソッドの本質とは
「現実よりも私の意識の方が優位」なのであり、
「私は過去の現実の単なる結果的存在ではない」
という理解を通して
「本来の主体性である「いまここ」を取り戻す」
ということにあります。
結局のところ瞑想なども同じ状態を目指すものであると言えます。
それは現実よりも意識が優位な状態を作ること。
いまここを取り戻すこと。
ところがこの主体性を取り戻そうとする時、
他者の存在が現れるやいなや、再び現実の奴隷へと意識が降下していくのを感じることができます。
他者を意識した瞬間に、せっかくの主体性を取り戻した意識は失われてしまうのです。
そこで出てくるのが「他人はいない」論。
しかしこの「他人はいない」論は、いまの人間にとって自然な感じ方からほど遠く、いくら頭で分かっても実践には結びつかないというのが正直なところ。
ヌーソロジーの空間認識はこれをどのように解決してくれるのでしょうか。
いまの私たちがこの「他人はいない論」に対して自然な臨場感を感じることなど果たしてできるのでしょうか。
実はここにちょうど本日「春分の日」にちなんだ「彼岸と此岸」という概念が重要になってくるのです・・・・・・。
始めての方も気軽に起こし下さい。
毎月一度の不思議な教室。
今年も続けていきたいと思います。