しばらく間が空きました。「最終調整」の為に、深い深い形而上学的世界の深海を漂っておりました(笑)。そろそろ関西からヌースの発振、活発化させて行きたいと思っています。
【6月は関西ヌース教室をやりますよ!大阪も京都も】
半田広宣さんの大阪レクチャーが5月に始まりましたので、関西ヌース教室は隔月で実施しています。今月は関西ヌース教室をやります。来月は7/25が半田さんの大阪レクチャーですね。
※今月の関西ヌース教室のテーマは「不完全性定理とヌーソロジー」ですよ。
思うところあり、先月から取り組み始めた「不完全性定理」。以下概要。
「もつれた階層 ~私はウソつきである~ は成り立つのか?(不完全性定理を考える・序章)」
エピメニデスのパラドックスとして有名な内容、「自己言及のパラドックス」です。
もし私がウソつきであるなら、これは正直者の言葉となり成り立ちません。
もし私が正直者であるなら、ウソをついてることになり成り立ちません。
このパラドクスを使って数学という体系の不完全性を証明したのがK.ゲーデルの不完全性定理(1931)です。厳密には数学の中のある限定された系についてでしたが、ゲーデルから約60年後にはG.チャイティンによって数学という系全般に渡って証明されました。
このことで、人間の知の体系の中で最も純粋で完全無欠と思われる数学が実は「不完全」であるということになってしまったのです。
これは大変なことです!
なぜなら「この世には完全な系が存在しない」ことが証明されたと言うことができるからです。
さらに「神はいない」、つまり「神の不在証明がなされた」とまで言われています(1991グリムの定理)。いわゆる神を「完全無欠」「全知全能」の系と考えたらということです。
「完全な系」・・・分かりやすく言えば「神」であり「真理」ということです。
「神はいない?」「真理は存在しない?」
これは一体どういうことでしょうか?
この事がヌーソロジーとどういう関係があるのでしょうか。そしてこの事が(いつもの統心流の展開ですが)私たちの生活と何の関係があるのでしょうか。
実に大ありです。何故ならこれすなわち「人間型ゲシュタルト解体」そのものであるからです。
ヌーソロジーの出現と不完全性定理の証明には密接な関係があると考えられます。
6月の関西ヌース教室では、その序章としてまずは簡単なところから、参加者の皆さんと一緒に考え始めたいと思います。
こうご期待。とうしん