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2022年11月号 『「内面のサトリ」と「外面のサトリ」』

~ 統心のスピリチュアル分析 Spi4.0 ~

 

ヌーソロジーの学びとは「悟る」道である。知識を増やしてもそれだけでは方向性を持ち得ない。悟らなければ意味はない。顕在化は起きない。「人間の外面」を発見することが「顕在化の第一歩」であるが、それだけだとすぐに後ろに戻されてしまう。だから「人間の外面」をサトる必要がある。これが「外面のサトリ」。

 

「人間の外面」を発見するということは、同時に「人間の内面」を発見するということでもある。「今まで前だと思っていたのは後ろだった」「見える世界が物質だと思っていたが、実は見えない世界を見ていた」「現実だと思っていたのは幻想・マトリックスであった」・・・どれも「人間の内面」を発見したという言明、これが「内面のサトリ」。

 

現代スピリチュアルの多くは「内面のサトリ」に向かう。「全ては幻想」「全て内側の投影」「全ては鏡」「100%自己責任」「引き寄せの法則」など。だがここには致命的な落とし穴がある。「独我論」だ。独我論の徹底こそが現代スピリチュアルの絶頂(Spi2.0)であり、同時に墓場となっていることに彼らは気づかない。そして現世利益の謳歌に夢中になる。

 

「他者に対して絶対的優位に立つ」ことだけを目指す独我論スピに絶望した者は「無我論」に導かれる。無我論には圧倒的な静けさと平安がある(Spi3.0)。そして現実に絶望した者ほど無我論の徹底へと向かう。しかしその先には「生まれてきたこと自体が間違い」という厭世主義・反出生主義が待ち構えている。ニヒリズムの極限、スマルだ。

 

現実の全てが罪で幻想だという結論はどう考えてもおかしい。秘教的伝統・グノーシスでは創造者を造物主とし、この世を悪の巣窟と考える。徹底した厭世主義でありニヒリズムだ。だが「生まれてきた」理由を間違い(落下・幻想)とするのはどうだろう? 間違いから始まれば間違いに至るだけではないか。 最初から合っている道はないのか。

 

ここに「神一厘」の仕組みがある。真釣りと魔釣りだ。一厘の真釣りに対して九分九厘の魔釣り。真釣りが「外面のサトリ」であり、魔釣りが「内面のサトリ」である。統心のスピリチュアル分析でこれら見通しが明らかになる。そして「内面のサトリ」と「外面のサトリ」の両輪がそろってこその「サトリ」であると分かるだろう(Spi4.0)。片方だけでは、サトっているとは言えないのだ。

2022年11月号 『「内面のサトリ」と「外面のサトリ」』【DVD版】

~ 統心のスピリチュアル分析 Spi4.0 ~

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2022年11月号【オンライン視聴版】(動画視聴URL販売)

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