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~そして、「スピノザの神」を理解すること
「神即自然」・・・今から350年以上前、スピノザが主張した汎神論。閉鎖的なユダヤ人社会の中で生まれ育ったスピノザにとって、この汎神論を主張するということは、故郷を追われ、時に生命が狙われるほど危険なことでした。
なぜスピノザはそれほどの迫害を受けたのでしょうか。そう、彼の説く「神」は、ユダヤ人の信じる神と真っ向から対立するものだったからです。
同じユダヤ人でありながら、その信仰の為に同族より憎まれ追放されるその姿は、あのイエス・キリストの姿とダブります。
ユダヤ人の信じる神を「外延神」とするならば、スピノザの神は「内包神」。そして私たちは通常、「神」と名が付くものはこの「外延神」しか知らないのです。それほどに、スピノザの神、汎神論は分かりにくいものでした。そう、人間型ゲシュタルトにとって「内包神」は理解できないものなのです。
いま私たちは、ヌーソロジーの「変換人型ゲシュタルト」によって、ようやくこの「内包神」を召喚することができそうです。またそれによって、あの「イエスが信じていた神」を私たちも直接見ることになるのでしょう。
~いよいよ生きながら死後の世界へ入る時が来た~
1:哲学は死の練習
2:人は死なない
3:「時空」は外在か内在か
4:生きながら死後の世界へ入る
今回は「死」について・・・ヌーソロジーならではの斬新な考察を。いわゆる「死後の世界」を論じる訳ではありません。それはある意味「逃避する死生観」。魂の永遠性を前提としたプラトン主義や、キリスト教の死生観は下手すれば「逃避」になります。
これと対照的な仏陀の死生観は「毒矢の例え」で知られます。死後の世界を尋ねてきた弟子に対して毒矢で打たれた者は、その犯人を捜す前にまず毒矢を抜くことが先決だという、有名な例え話ですが、孔子も同じ様な言葉を残しています。いわば「保留する死生観」。
また一方で、堂々と「死」を受け入れてこそ、「生」の本質に至るのだという、骨太の死生観があります。ハイデガーの「死への存在」、ヤスパースの「限界状況」・・・共に19世紀の同じ頃にドイツで起こった実存哲学。これはいわば「直面する死生観」です。「死」に直面する、人間のはかなさ・無力さを受け入れる・・・
ヌーソロジーは、これらの死生観のどれとも違う。いわば「反転する死生観」。死と生の位置を反転させようとしているのです。いや正確に言えば、私たち人間というのは、この「死と生」の位置が真逆になっている、というのです。それを元返す、正常な位置に戻す、ということ。そこに「空間認識の変更」を持ち出す。
とくに「時空は内在か外在か」の認識革命に、大きな反転ポイントがあると睨んでいます。その先に「生きたまま死後の世界に入る」・・・ヌーソロジーの顕在化は、この目の前を「霊界」「死後の世界」にしようとしているのです!
※参加者の多くが感動で言葉を失った・・・神回の予感がする3月号DVDです!
~時間が内在として見える位置へ~
「時間」と聞けば、誰しもが背後でチックタックと流れて行く時間を思い浮かべます。また今年2021年であれば、西暦2000年代という時間の流れ、歴史的年表の様なものを思い浮かべます。物理学者が取り扱う時間もこれと同様、数直線上で表される「流れる時間」。過去から未来へ、原因から結果へと流れる時間・・・私たちはこれしか知りません。
ところが、この常識的な時間概念に対して、真っ向から異議を唱えた哲学者がいました。それがフランスの大哲学者アンリ・ベルクソン。ベルクソン曰く「それは本当の時間ではない」と。「背後に流れる」という感覚・・・この「背景」的な感覚が、すでに「時間を空間化してしまっている」というのです! 何ということでしょう。だから、それは本当の時間ではないのだと。
本当の時間・・・ベルクソンがいう「持続」。今年のテーマ「ψ9の顕在化」である「位置の等換」とは「時間が内在として見えてくる」とされ、それはこの「持続感覚の顕在化」のことであります。
ずっと「空間認識の反転」を追っかけてきたヌーソロジーですが、いよいよ時間の反転・・・「時間の負の方向性」を見出すところまで来ました。「時間概念」の革命は、私たちの日々の生き方に、直接的な変化をもたらすでしょう。そんな変化を予感しながら、今年1年は共に「位置の等換」の顕在化を探求していきましょう。
~ 変換人たち、活動開始! ~
毎年最初の教室は、1年の展望を見ていく回。2013年から数えて9年目の今年は「ψ9の顕在化」が発動する年であるとオコツト情報から見ています。「ψ9の顕在化」には「位置の等換」という名称があり、これが関西ヌーソロジー研究会の今年のテーマとなります。位置の等換。
思えば関西ヌーソロジー研究会は2013年の発足より、この「顕在化」の道を実際に歩みながら開拓してきました。その9番目の年「位置の等換」とは何か?ここから真の意味で「変換人の活動」が始まると見ています。・・・半田さんの解説にもありますが、ずばりそれは時間に「負の方向性」を見出すということになるでしょう。
今年1年かけて顕在化を睨んでいく「位置の等換」と「時間の負の方向性」。まずはその用語と概念の整理から始めてみます。恐らくこの作業は、人間の不死性から反重力・フリーエネルギー、そしてバタイユの普遍経済論からMMT現代貨幣理論にまで、すべて繋がっていくはずです。
「他人の死」と「自分の死」は次元が違うのです。「自分の死」は決して(客観的に)見ることはできないのです。そして「真理の扉」はそんな身近な所にあるのです。
~「同時存在・全体」への帰還~
毎年7月にそれまでの半年を振り返る「総集編」ですが、今年はコロナ禍でやれませんでした。そんな年でしたが、既に8回のレクチャーを発振しています。
2020年、今年扱ったテーマは「コロナ」「MMT」「二極化」。振り返ればこの流れはすべて一貫していました。その極めつけが12/21冬至の日に起こったグレートコンジャンクション、木星(Ω7)と土星(Ω8)の約400年ぶりの大接近。この宇宙的イベントにより、統心は2013~20までの8年間のカタチ(初期フラクタル)が完成したことを確信しました。2039年「入神」までの人類に予定された最終スケジュールです。
後半にライプニッツの「充足理由律」を取り上げます。充足理由律・・・全てに理由がある、ということ。それも、そうであるために充分な理由が。要するに「偶然はない」、全て必然、予定調和の世界。
これをもって、ライプニッツはニュートンの「絶対空間・絶対時間」を徹底的に批判します。絶対時空は充足理由律を満たしていない、その様な世界を作る神がいるとしたら、それは三流の時計職人だ。ニュートンの思想は神への純粋な信仰を荒廃させることになる・・・。
驚き、目から鱗の統心流ライプニッツ解説・充足理由律の世界。これを聞けば、あなたは自身の存在理由に確信を持つようになるでしょう。そして持続の世界に反転する道が開けてくるでしょう。その時あなたは知ります。「未来」などなかったということを。全てが過去・記憶であったことを。実はこれは、来年より始まる「新しい思形発振」の伏線になっているのです・・・。
~「内側の二極化」を探求する ~
「人間の意識はこの先、確実に二つのものへと分離していく」コーセン氏が語る、この意味不明の言葉を知ったのが2009年。じっとこの謎に取り組んでまもなく12年、よくぞここまで来たな・・・と思わず感慨深くなる、そんな内容を今回は語っています。
名付けて、統心流「モノポール哲学」。モノポールとは「磁気単極子」。「+だけの磁気」「-だけの磁気」を帯びた粒子のことで、「反物質」と共に、あのディラックがその存在を予言したものです。ですが、今日に至るまでその存在は確認されていません。。
以前からヌーソロジスト界隈では「人間の意識進化が進めば、モノポールが出現する!」と噂されていましたが、統心は今回、このモノポールをダイレクトに「内側の二極化」に結びつけ、変換人の心象風景を描き出し、意識進化の道程を切り開こうとしています。
また、あの「統心流・量子的成功哲学」(18年11月号)に匹敵する熱量で、多いに盛り上がるモチベーション系の語りにもなっています。統心は、あなたの中の「変換人」を産むお手伝いを致します。
~内外それぞれの二極化を見極めよ~
2020年に入り、スピリチュアル界は「二極化」の話題で持ちきり。新型コロナの登場がその風潮をさらに加速させています。しかしながらその論調は「善・悪」「救われる・救われない」の御利益精神一辺倒。これは未だ一神教精神への囚われであり、人間型ゲシュタルトの範疇です。
ヌーソロジーにおける「二極化」はその様な論調とは一線を画し、そこに善悪などの価値観が入り込むものではありません。それはあたかも細胞分裂時に極が2つに分かれる様に、2つの方向性がはっきりしていくことであり、はっきりと差異を伴って分かれていきます。ヌーソロジーにとっても二極化は最終構成における宿命です。
ここにきて、ヌーソロジーの対化と呼べるような方向性がカタチになって来ました。その1つがイギリスの哲学者・ニックランド氏を中心とする「暗黒啓蒙」ムーブメント。
最先端の科学とテクノロジー、最新の哲学、新興IT財閥らとの連携を伴って現れてきたこの暗黒啓蒙思想は、その動機や方向性、影響力において決して侮れるものではありません。間違いなくヌーソロジーの対化(外側の二極化)でしょう。
対化を知ることは己を知ること。この回ではニックランドの暗黒啓蒙を取り上げ、いま何が起きているのかを見ていくことにします。それはいま現在進行形で混迷している2020年アメリカ大統領選挙を紐解く為にも必要なことになるでしょう。
なお「外側の二極化」よりも大切な「内側の二極化」については、この回ではご紹介に留め、より深い探求は次回へと続くことになります。
~交換と贈与、そして純粋贈与~
最初は話題の「MMT現代貨幣理論」の可能性に驚き、その革新性(反転性?)を何とか分かり易く伝えようと始めた統心流経済論。それがまさかこんな所まで導かれるとは・・・「普遍経済論」と「純粋贈与」の登場。
普遍経済論とは、異端の哲学者バタイユがかつて提唱したものですが、そのキモは「資源の無限供給・過剰性」にあります。従来の経済は「稀少資源の分配」に価値があるというのが暗黙の了解でした。地球上で生きる限り、資源は有限である。その資源をどのように分配するべきなのか・・・。突き詰めると経済(および政治)の本質はそこに行き当たると思われます。しかしもし、この大前提が間違っているとしたら?そう、そもそも「資源は有限だ」という考え方自体が人間全体が落ち込んでいる迷妄だとしたら・・・。
資源が有限であるとすれば、そこに格差が生じるのは当然のことです。誰かが必ずその稀少資源を総取りするか、分配の主導権を握ろうとします。それが戦争の原因にもなります。やがて環境破壊が進む中で、今度は資源の節約や環境保護、持続可能な未来が模索され始める。しかし環境破壊者もその保護主張者も、共に「有限資源」という前提を疑うことはしません。もしもこの大前提が間違っているとしたら・・・?きっとそこに全く別の道、別の可能性が開かれることになりましょう。
「ザ・マネーゲーム」からの脱出が現実のものになろうとしています。
~意識進化と貨幣観の関係~
意識進化とお金(貨幣観)を結びつける統心ならではの着想と方向性。レクチャーはまず最初に「人はパンのみに生きるにあらず」の有名なイエスの聖句から始まります。
この聖句は「物質よりも霊性を重視しなさいよ」というのが通常の解釈。しかしその程度の解釈ではイエスの真意の半分にも至らない。何よりそれでは「現実」は変わらない。
実はこの聖句には欠かすことのできない文脈と「あるもの」が前提なのです。それが旧約聖書・申命記に出てくる「マナ」。実はこの聖句は、「パンとマナ」に関する奥義が語られていたのです・・・!
お金について学ぶ事。貨幣観の変遷を「意識進化」として捉え直すこと。そうすることで、遂に「信仰と現実」の問題を突き抜ける解決策・方向性へと至る??? 果たして「ザ・マネーゲーム」からの脱出は本当に可能なのか。
ここに来て、MMT現代貨幣理論という「お金に対する新しい見方」が登場したお陰で、統心は遂にその確信を得ました。まずはMMTを正しく理解することから始めましょう。
~延長空間から持続空間へ回転せよ~
緊急事態宣言解除を祝して3ヶ月ぶりのヌースライブです。
1:日本の新型コロナ対策の結果は?
2:もはや避けられない全体主義
3:「お金の真実」に目覚める
4:「延長空間」から「持続空間」へ
「withコロナ」・・・私も最初はこれを6月のテーマにと思っていました。ですが直前に「afterコロナ」に切り替えたのです。それは2ヶ月以上に渡る自粛期間の深い瞑想の中から得られた「ある確信」からです。
日本の明るい未来、2025年以降に突如開かれる日本独自の道・・・様々な点が線となり、おぼろげながら面として見えてきました。今回はその一端をお話しています。
とくに今回から経済、それもお金の話を始めています。「意識進化はお金に対する認識と同期している」という事が今回はっきりと分かりました。
しばらくはこのお金探求シリーズは続くと思います。次々と驚愕の事実が明らかになって来ています。「お金の真実」を知ることで、私たちの意識進化がブーストされることは間違いありません。さぁ始めましょう。変換人のアフターコロナ。
新型コロナ騒動・緊急ヌースライブ『過越の567(コロナ)』
1:現状の理解~正しく恐れること
2:「クラスター対策」を理解すること
3:新型コロナはラスボス「パンドン」
4:「変換先手」の「転換」で過ぎ越す
緊急事態宣言前、最後の大阪レクチャーです。DVD化にあたり、情報の更新もしています。ですが大筋は変わりません。統心が提唱する「4つの観点」とは
①臨床的観点→ウイルスの2つの顔(優しい顔・怖い顔)を知り「正しく恐れる」
②公衆衛生的観点→感染爆発・医療崩壊を防ぎ、犠牲者を減らし社会を守る
③政治経済的観点→自粛と経済活動のバランス、アフターコロナへの準備を始めよう
④スピリチュアル的観点→明るく前向きな気持ちに福来たる、「万事塞翁が馬」精神で
このライブで語った内容は、いまもって不動の見解であり、「withコロナ」時代を生きる者として必須の内容かと思います。
2020年は2013年から数えて8年目、ψ8「位置の転換」に相当する年。ψ7「位置の変換」とはペアになる概念です。そこで、今年の関西ヌーソロジー研究会・全体テーマを「位置の転換」としました。
また、オコツトが初期に送信してきた「シリウスのハーベスト・プログラム」には、2013年:「位置の変換」開始、2025年:「位置の転換」開始、2037年:「入神」とあります。
2013~24の12年間が「位置の変換」期(ψ1~12)、2025~36の12年間が「位置の転換」期(ψ*1~*12)、この「変換・転換」が完全化して「入神」というワケです。(*:スターは他者側の観察子)
今月のヌーソロジー教室では「位置の転換」について、基本的な所を見ていきたいと思います。また、この一年を通して「変換・転換」が完全化して「入神」・・・ということの意味をより明らかにできるか、挑戦してみたいと思います。※「入神」とは、変換人の意識がヒトの次元に進化すること。
「位置の変換の時期(2013年以降)においては、どうも1年と次元観察子の1単位が同期する仕組みがあるようで。。。」(半田広宣氏ブログ cave syndrome 2008/12/12 の記事より)
このコーセンさんの言葉を真に受けて、一人マニアックに追求してきた統心ですが、その甲斐あって、8番目・ψ8にあたる2020年の意義、さらには2025年から2037~39年「入神」までの道のりが、おぼろげながら見えてきました。
ψ8は「位置の転換」と呼ばれ、ψ7「位置の変換」の対化とされます。さらにオコツトは2025年を「位置の転換開始」と位置づけています。変換と転換が完全化することでシリウスの領域が開示されます。それが「入神」。果たしてこれから世界はどうなるのか。
レクチャーの最後には、毎年恒例のウルトラマン・シリーズ解説!今年はさらに考察が進んでいます!語る私自身がひたすら驚く展開に・・・、ぜひぜひDVDにてご笑覧ください。
「俯瞰と顕在化2」~「主語」なんてイラナイ!・・・何ということでしょう、1年の最後の月にして、またまた大傑作が誕生してしまいました。
今回は言語学者・金谷武洋氏の本を参考にして「主語廃止論」が説かれていきます。前半、というか大半がいつものヌーソロジー話というより「日本語について」の話になっていますが、これがまた面白い。ヌースを知らない人にも見せてあげると良いでしょう。きっと楽しんでもらえます。
そして話は「中動態」に行き着きます。この「中動態」の発見がヤバい!「思形と感性」「男性性と女性性」の統合を掲げた2019年でしたが、まさか最後にその「出口」が見えてくるとは。「事実は小説よりも奇なり」を地で行く令和元年最後の大阪教室DVDをとくとお楽しみください。
スピリチュアルや精神世界では「俯瞰」という意識的作業が重要視されます。「俯瞰」・・・自分自身を離れた位置から客観的に見ること。俯瞰は知性そのものであり、「高次元の知性」と言えるでしょう。しかしヌーソロジーのキモである「顕在化」は、この「俯瞰」とは全く違うものです。今回はその違いを明らかにしてみたいと思います・・・。
またその中で、「霊的唯物論」と「人間の反対」というヌーソロジー独自の概念について詳しく見ていくことになります・・・。
令和元年11月14日から15日未明にかけて、大嘗祭は無事に挙行されました。新天皇即位後に行われる、一世一代の儀式。この儀式をもって天皇が天皇として真に立つ事ができるという極めて霊的な意義のある儀式でした。
Kohsen: 天皇家が行う大嘗祭とは何を意味しているのですか?
Ocot: たぶん、ヒトの交替化が儀式化されたものだと思います。
オコツトはこのように大嘗祭について語ったと記録されています。
そして「ヒトの交替化」には「2度の交替化」という本質があるのです。大嘗祭において「同じ儀式を2度行う」ことの真意を語れるのは、やはりヌーソロジーをおいて他にないと思われるのです・・・。
統心流「カタカムナとヌーソロジー」の第1弾。
カタカムナの思念に「アワとサヌキのサトリ」というものがあります。簡単に言うと、アワは女性性、サヌキは男性性のこと。サヌキ性は自己主張をし、目的に向かって突き進む性。アワ性は陰に回り、周囲に気を配り、相手を立て相手に順応しようとする性。
しかしながら、カタカムナではこの「アワ」性がより根源にあるとしています。つまり「女性性が根源」であるということ。この見解は、ヌーソロジーとも共通しています。
「人間とは女なるものである」これがヌーソロジーの根底に流れる哲学。表面的・対立的な男性性と女性性の話ではなく、より根源の女性性=アワ性についての理解と感受性が、真の男性性と女性性の統合へと繋がり、来たる霊性文明への道を開くことになると信じて止みません。
今年もまたこの季節がやって来ました。上半期総集編プラス!
《7月度教室DVDラインナップ》
1:2019年は「12」な年
2:「作る自然」と「作られる自然」
3:反転の思考 時空から持続へ
4:原因論と目的論は別々の空間
2017・18年に続いて3年目となる「上半期総集編」。1月から半年間、毎月開催してきた関西ヌーソロジー教室をここらで一度振り返って、今まで取り上げてきたバラバラの知識・体験を統合する回です。
今年のテーマは「思形と感性」。年頭の1月教室では、今年は「男性性と女性性」の統合について見ていく!と宣言しておきながら、この半年間その話題については全く出ませんでした。どうした、統心? 直観を見失ったのか?
いえいえ、そうではありません。実は統心において、それは「目的論」としてやってきたのです・・・。とうしんはいま、「目的論」の中に「思形と感性」の統合を見ています。
イエスが道をとおっておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねていった、「先生、この人が生まれつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それとも両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したものでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」 新約聖書ヨハネ9章1~3節
障害者を見て、何の罪が原因かとまさぐる弟子たち。これが「原因論」の典型です。そんな原因論者に対して、イエスの回答は実に痛快。曰く、誰の罪でもない、神のみわざが現れるためだと。このイエスの回答こそが、まさしく「目的論」です。
真実の「目的論」、これを聖人のありがたい話に留めておく時代は過ぎ去りました。今や私たちの誰もが、日常生活において、この領域に生きる時なのです。ヌーソロジーの空間認識をもってすれば、それは可能。原因論は人間型ゲシュタルト。目的論は変換人型ゲシュタルト。
先月に続く「目的論」の第2弾は、より実践的な内容へと深めて行きます。
「原因論」は、行動や感情は「過去の原因」に基づいて起こるという考え方。「目的論」は、行動や感情は「未来の目的」に対して起こるという考え方。両者のアプローチは真反対となっています。
人間を悩ます罪悪感・失敗概念・欠乏感・無力感・・・これらはみな「原因論」的な思考がもたらすものです。要するに、問題の原因を追及しようとする姿勢です。
物質的な領域では、「原因論」は問題解決の大変有効な手段となるのですが、精神的な領域では、「原因論」は新たなる苦しみを生み出すことが多いのです。では「目的論」だとどうなるのか。そしてそれが「変換人型ゲシュタルト」とどのような関係になるのか。
動画の最後に重要な提言を行っています。それは「非業の死を遂げた者に対する真の喪の実現」について。実はこれが今回の隠れたテーマとなっています・・・・・・。
同一性とは「A=A」。即ち、男=男、女=女 表=表、裏=裏 善=善、悪=悪・・・要はあたりまえ、分別知の世界。しかし、こちらは「閉じている」。
即非の論理とは「A=非A」。即ち、男=女、女=男 表=裏、裏=表 善=悪、悪=善・・・これは非合理、無分別知の世界。しかし、こちらは「開いている」。
世界に「禅」を紹介した哲学者・鈴木大拙は「即非の論理」の体得を「霊性の自覚」としています。「変換人の心象風景2」と題したこの回は、この「即非の論理」をめぐり「同一性の解体」という「変換人の論理構造」を探ります。
2013年から始まる人類の「意識進化」、そのシーンの中心的役割を担う「変換人」・・・その変換人について改めていろんな角度から見ていこうという回です。特に今回は「変換人の時間概念」について取り上げています。直線的時間概念から解放された変換人の内面とは?その心象風景について浮き彫りにしようとしています。この宇宙は人間から始まった?
2019年度関西ヌーソロジー研究会のテーマは「思形と感性」です。今年は数秘12(2+0+1+9=12)、干支12(亥年)が重なり、まさしく「12」の年と言えます。ヌーソロジー的には、「9と10の統合」が「11」であり、「11」の対化である「12」とは、再び「9と10の分離」に戻ることを意味します。そして9が思形(男性性)、10が感性(女性性)を意味しています。これで今年のテーマ「思形と感性(9と10)」に繋がります。今年1年をかけて、内なる「男性性と女性性の統合」について見ていきたいと思います。
毎年最初の教室は、1年の展望を見ていく回となります。ヌーソロジーを基軸として易学や世界情勢などを交えながら、今年の方向性を一緒に探っていきます。さらに今年は元号が変わる重要な節目の年です。このことの意味を内外から紐解いて行くことが今年最大のテーマになることは間違いありませんね。
また全体を俯瞰する為には「ケイブコンパス」の知識が必須なため、とうしん流の「ケイブコンパス」解説も行っています。ここは丁寧に解説しているので、ご興味のある方はこのDVDをご覧下さい。
2018年12月8日に福岡で行いました講演『一神教精神のあとに来るもの』をベースに、講演では掘り下げて語ることのできなかったポイントを関西ヌース教室ならではの、臨場感とユーモアを交えて詳しく見ていきました。(※下にイントロ部分の動画があります)
「一神教精神」が問題なのは、「善悪二元の振り子状態」を作り出すことです。この善悪二元とは「擬二元」であり、その実は「相対性」である、というのが統心の主張。そして人間は、この相対性の中に閉じ込められており、そこから抜け出すことである「意識進化」とは、「相対性から双対性へ」「擬二元から真二元へ」というのが、ヌーソロジー~自分教からの結論です。
9月度教室に引き続いて、クオリア第2弾です。前回よりもこなれた解説で、クオリアの復習ができます。さらに今回は、「モチベーション系」の語りを最後に行っています。以前お話したことのある「統心流量子論」とクオリア問題を絡めながら従来の成功哲学などとは全く違った切り口で、自説を展開しています。
曰く、従来の成功哲学はすべて「法則をあてはめる」というパターンであったと。ここに問題があった。ここに大量の「負け組」を作る元凶があった、と。新時代の成功哲学は、ずばり『「わたし」という感じ方を確かめ続けること』である!
とうしんの自説、興味のある方は是非とも耳を傾けてみてください。かなり激アツです。
テーマ:クオリアについて
~そして、「形による心」とはどのような意味なのか~
《9月号教室DVDラインアップ》
1:《クオリア》の理解
2:《クオリア》の誤解
3:《クオリア》のヌース的パースペクティブ
4:《クオリア》を生きる、「形による心」とは?
「クオリア」とは、客観的には観察できない、意識の主観的な性質のことです。簡単に言えば「感じ」のこと。毎瞬毎瞬、この「感じ方」を確かめることが、心をもった生命の営みの本質です。このクオリアを理解することで、意識進化の方向性がよりふくよかに見えてくることでしょう。今回は統心の真骨頂とも言える回となっています!
テーマ:2018上半期総集編プラス
《7月号教室DVDラインアップ》
1:2018年は「11」な年
2:存在論的差異について
3:主客分裂から主客一致 そして、心身統一
4:変換人の時間感覚
2018年1月から半年間、ほぼ毎月開催してきた関西ヌーソロジー教室。8月休みを前にここらで一度振り返って、今まで取り上げてきたバラバラの知識を統合する回です。
さらにプラスアルファとして、3コマ目の心身統一論や4コマ目の変換人時間論は必見の内容です。今回もまた白熱して、とても面白い回となっています!
テーマ:「ニーチェを超えて」
《6月号教室DVDラインアップ》
1:ニーチェ思想と基本ワード
2:ヌーソロジーとの共振点
3:価値を転換せよ(人間から変換人へ)
4:ニーチェを超えて(変換人からヒトへ)
ニーチェ思想とヌーソロジーをテーマにした回。とうしん流のニーチェ解説で基本面白おかしく、かつヌーソロジーとの共振点を探りながら、実践的な内容まで浮かび上がらせています。
これを見終わる頃には、「いまなぜニーチェなのか」きっとその意味がお分かり頂けることでしょう。自分で言うのもなんですが、かなり面白い回です!